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黒田一男君の逝去

 投稿者:西村周一  投稿日:2017年 1月28日(土)21時30分38秒
返信・引用
  18日の夕刻、囲碁同好会の集まりが終わり帰途につく前に携帯電話の着信をcheckしたら黒田一男君からの着信履歴あり。 普段、携帯に電話をくれたことの無かった彼からの着信とは何があったのか?と不安を覚え乍らcall backしたら奥様が電話口に出られて16日に死去、故人からの指示で電話をさせて貰ったとの由。 HPを通じて流した情報に一部誤りがあったので此処で訂正します。 彼に膵臓癌が発見されたのは昨年ではなく一昨年の8月でした。余命4~6ヵ月との医師の見立てを1年超えて生きた計算ですが、癌に付き物の苦痛に悩まされることなく昨年11月半ば入院するまでは家族との旅行、孫との和やかな交流に地元のテニス仲間と毎日曜日テニスを楽しんだようです。 昨日、告別式に出て最後のお別れをして来ました。 あの人懐っこいにこやかな笑顔はもう見れません。 寂しいですね。    
 

クロピン

 投稿者:トマソム  投稿日:2017年 1月23日(月)22時17分50秒
返信・引用
  クロピンこと黒田一夫君とは高校の三年間、共に部活に
励んだ間がら。お世辞にもバスケが巧かったとは言え
なかったが、練習熱心な仲間の一人だった。
 時流れ、卒業して四十年ぶりの同期会で再会したが、
昔と変わらぬ風貌に若かりし頃の自分を思い起こさせて
くれた。
 昨年の同期会は「体調が良くないので欠席」と記されて
いたが、まさかこのような訃報に接するとは驚きを禁じ
得ない。
心より黒田君のご冥福をお祈りします。
 

今日は阪神大震災の日

 投稿者:とく  投稿日:2017年 1月17日(火)08時48分44秒
返信・引用
  あれから22年が経ちました。
その間、東北の地震や熊本、新潟などの地震、人為的な大災害、
心痛むことの多いこの頃ですが、自分が出来る範囲で気を付けて過ごしたいと思います。
それで、未だにやっていることは、
お風呂の水を常時ためておく。
水など備蓄する
寝室に倒れるようなものを置かず、スリッパ、懐中電灯、ラジオなどを常備する。
ご近所と仲良くする
などです。
今年も宜しくお願いいたします。
 

トマソムさんへのお返事です。

 投稿者:YOY  投稿日:2016年12月 8日(木)12時21分0秒
返信・引用 編集済
  トマソムさん
「ほつれた糸」面白かったです。
まるでジグソーパズルのようだと思いました。人生のジグソーパズル。
最近新聞で見つけたピースが、中学時代に拾った古いピースと
ピタッと嵌まったのですね。こちらまで胸がすっとしました。
YOY

 

ほつれた糸

 投稿者:トマソム  投稿日:2016年11月21日(月)21時53分55秒
返信・引用 編集済
  (秋の夜長、こんな話でも)
 先日、日本経済新聞夕刊に連載された「こころの玉手箱」は出版界ではつとに
著名な石川次郎氏でした。
石川氏は64年に創刊され若者たちに大きな影響を与えた「平凡パンチ」の編集
に携わりその後、「ポパイ」「ブルータス」「ガリバー」などを創刊して、平凡
出版(現マガジンハウス)の名編集者として活躍した人物。これらの雑誌は現在の
IT社会においても男向け情報誌として根強い人気を保っているようです。
(平凡パンチは88年に休刊)

1週間にわたって掲載されたこのコラムの11月4日の最終回を何気なく読み
終えた私は翌日、もう一度目を通してはたと気づいたことがありました。
 石川氏は67年の正月に勤めていた旅行代理店に辞表を出し、その足で『高校
時代の同級生の父親である、平凡出版の清水達夫副社長を訪ねた・・・』のくだり
を読んで、遠い昔のことをふと思い出したのです。

 私の友人に小中学校を共にした同級生がおり、中三の秋からは週2回ほど、彼の
家で受験勉強に励んだ間がらでした。
 彼には二つ年上の姉がいて当時彼女は富士高校バスケ部のキャプテンでした。
その姉に清水という同じ冨士高校の仲良しの同級生がおり、時たま彼の家で見かける
ことがありました。
 中学校への通学の途上に瀟洒なたたずまいの清水さんの家があり、友人が表札を
指さしながら「お父さんは平凡出版の副社長なんだって」と言ったのを聞いた覚えが
あります。その清水さんには三歳下の妹がいて彼女もまた私が入学した翌年に富士高へ
入学しています。姉妹ともに人目を惹く知的な女性でしたが特にお姉さんはファッシ
ョン誌にでも出てくるような美しい方でした。

 ところで、私と友人は猛勉強の甲斐もなく互いに希望校に行けず、高校からはそれ
ぞれ違う道を歩むことになります。
 その後何年か過ぎたある年、その友人から訊いた話によれば、滋賀に住む従兄が
清水さんと結婚することになったというのです。東京に遊びに来た従兄が友人の家で
たまたま居合わせた彼女を見初めて交際が始まったらしい。
 友人からこの話を聞いたとき、結婚は必ずしも美男美女とは限らないことを知って、
変に勇気づけられたものです。

 さて本題に戻り、石川次郎氏の「こころの玉手箱」最終回を読み返してみて、氏が
『高校時代の同級生』と書いていたのは、まさに私たちより二級上の富士高生の清水
さんその人だと気づいたのです。
それなら、ひょっとして石川氏も同じ冨士高生ではなかったのかと3年前に他界した
私の妹が遺していた2010年版卒業生名簿を開いてみたら、紛れもなく12回生に
石川次郎氏の名前が載っておりました。彼もまた冨士高生だったのです。
 

Re: 岩櫃山紀行

 投稿者:とく  投稿日:2016年 7月19日(火)20時48分51秒
返信・引用
  小出 瑞穂さんへのお返事です。
小出さん

素敵な紀行文を有難うございました。
皆様からのメールで、楽しかった様子を垣間見させていただきましたが、
貴女の文章から、それぞれの場所が立体的に感じられました。
有難うございました。         とく
 

岩櫃山紀行

 投稿者:小出 瑞穂  投稿日:2016年 7月13日(水)21時51分45秒
返信・引用
  7月11日に2泊3日で群馬県の岩櫃にある杉並区の施設に行ってきました。
そこまでの途中で現在、NHKの大河ドラマで放映中の真田丸の舞台である名胡桃城址と沼田城址に寄りました。名胡桃城は小さな出城のようでしたが、地形を有効に活かしていました。沼田城はすごく立派な城址で堅固な要塞となる地形を選び、さらに守りを固めるように築城されていました。
翌日は岩櫃山に登り、岩櫃城址を見ました。見晴らしがよくてお城としての守備は素晴らしいと思いました。昔の山の上の城中の暮らしを忍びました。
岩櫃山は登るに手頃で緑の木々を楽しみました。高尾山より手つかずの山でそこが魅力的でした。
夜は近くに蛍を見に行きました。幽玄、夢幻の世界でした。現実の生活を忘れました。
真田丸三昧の旅でしたが、帰路に寄った箱島湧水は清らかな湧水で、滝になって流れていました。前夜の蛍狩りの場所は昼間見ても趣がありましたが、そのすぐ近くでした。その辺りは清水が多いところです。代々、人々はこの湧水を大事にしてきたと書いてありました。お社が祭ってあるのを見ても、この水をぜひ守りたいとの思いがあったということでしょう。聞こえるのは滝の音だけでした。
 

Re: 帰りの車中で

 投稿者:とく  投稿日:2016年 5月 2日(月)15時19分21秒
返信・引用
  > No.386[元記事へ]

トマソムさんへのお返事です。

トムソマさん

良い出会いがありましたね!
爽やかなその青年が見えるようです。
私が席を譲られたのは、忘れもしない42歳の時
テニス帰りで、よっぽど疲れているように見えたのでしょうね、
びっくりしましたが、素直に座らせて頂きました。
席を譲るって、ちょっと勇気が要りますよね。
ですから、喜んでもらえると嬉しいのです。

だいぶ前ですが、ハワイでバスに乗った時
バスの運転手さんが(女性)バスを止めて、
ツカツカと座席の方に来て、座っていた若者をどかせて
お年寄りを座らせていました。

ハイキング楽しかったです。
監事の皆様はじめ、皆々様有難うございました。

連休の前半は、親類の者が泊まりに来て
後半の明日からは子供や孫たちが集まります。
今、9人分のミートソースを気長に作っている最中です。
熱中症に気を付けて(京都は夏でした)お過ごしください。



 

帰りの車中で

 投稿者:トマソム  投稿日:2016年 4月28日(木)21時58分8秒
返信・引用 編集済
   10分遅れで上野原駅へ到着した特快電車に乗り込み、八王子で
二次会に臨む連中と別れて、一路東京行きの電車に揺られること
一時間半。終点東京駅の構内は家路につく通勤客でさながら魚の
大群が渦を巻いて泳いでいるかのよう。
 その群れをかき分け駅ナカの弁当屋で深川めしを2つ買い、家に
電話を入れてから千葉行きの総武線快速に飛び乗る。
網棚へリュックを乗せようとしてなぜかもたつく。隣にいた東南
アジア系の青年が見かねてリュックを奥へと押し込んでくれる。
目で礼を言ってから、電車に揺られることしばし。

 船橋駅で青年の前の座席が空くと、私にここへ座れと手招く。
遠慮して彼に勧めると、カタコトの日本語で「モウ、スグ! 」と
言いながら私の腕をつかんで再び座れという。ならばその好意を
甘んじて受けようと空いた座席に腰を下ろす。
 青年は次の駅で何事もなかったように私に目もくれず降りて行く。
初めて車中で席を譲られた私には大きな出来事だったのだが・・・。
 

石井君を偲ぶ

 投稿者:トマソム  投稿日:2015年11月20日(金)22時09分25秒
返信・引用 編集済
   昭和36年の夏休み。気の合った仲間と3階の空き教室で
自習をしていると、中庭からボールを打ち合う音が聞こえた。
軟式テニス部の連中が夏季強化練習に励んでいたのだ。
その中に白いロングパンツ姿の石井實君がいた。赤銅色に
焼けた顔に滴り落ちる汗とシャイな笑顔が僕らの目に眩しく
映った。
長じて後、富士高ゴルフ会での彼の活躍ぶりを見て、さも
ありなんと思われた。
 旅立つ友に謹んで哀悼の意を捧げます。
 

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